The road to genius

田中徹也が毎日の生活のこと、またガジェット、トレーニング、仕事術について書きます。

アメ村の雑貨屋のにおい

毎月一度心斎橋に向かう。
いきつけの美容室にいくためだ。

僕は服とか靴とか時計もあまり興味がない。
だからこそ、髪くらいちゃんとしたところで切ろうと来だして何年になるのだろう。。

いつもトンボがえりだか、少し今日は余裕があったし、ここ数日いろいろと消耗していたこともあり、気晴らしにとアメ村の中を少しあるいた。

僕の18歳から22歳くらいの4年間は、アメ村に極めて近いところで生活していた。
ちなみに今この記事は、アメ村のビックステップのスタバで書いているけど、その当時20年前の僕は、まさかここで20年後ブログを書いているなんて夢にも思わなかっただろう。

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アメ村にはいろんな想い出がある。

当時付き合っていた彼女がアメ村の学校に行っていたこと。
僕も大阪で一人暮らししていたこと。
そしてなによりも

お金がなかったから、ウロウロするだけで楽しいアメ村によく来ていたことだ。

当時、まあいまでもそうだがアメ村には雑貨屋がいっぱいあった。
またスマホyoutubeも無いし当然LINEも無い時代。

アメ村は大阪における「若者のカルチャーの発信源」だったし、中でも雑貨屋はそうした最先端に触れられる場所だったとおもう。

財布も買ったし、出始めのアロマキャンドルやプラスチックのカラフルなすだれ。

ユニットバス6畳の僕のワンルームにはそうした雑貨が少しだけあった。
多くはもってなかった。
欲しかったけど。

当時1,000円とか3,000円とかの雑貨。
当時バイトでバンドもやってタバコも吸って彼女もいて一人暮らしの僕には、そうした雑貨屋のものはほとんど買うことは出来なかった。

なんか分からない間接照明。
透明でチェーンの付いた財布。
今ではビレヴァンにおいてありそうなものだが、、、、
兎にも角にも想い出のあるアメ村だ。

今雑貨屋に入れば、そうしたものはすぐに買えるようになった。
では買えなかった当時はみじめだったかというと、そうではない。

毎日が楽しかったし、キラキラしていた。

今はどうだろう?
最近自分なりに思うことがある。

決して金持ちになったわけではないけど。。。
大好きなハワイにも、行こうと思えばいける。
新しいデジタルガジェットがでると買えてしまう。
たくさん友だちもできた。
結婚して幸せな家庭もある。
仕事も順調だし。
お酒もおいしく飲めるようになった。
不自由はない。

他人から見れば幸せだと思われるとおもう。
でもなんだか僕は渇いている。
渇望、何かが今の僕に決定的に足らないのだ。

そして、それはこのアメ村にいたときのようなキラキラしていた毎日なんだろうとおもう。
ミライを明るく見据えていた毎日だった。

そりゃもちろん当時は責任はなかった。
いまはいろんな責任が常につきまわる。
もちろん年もとったけどね。
今は、毎日目の前のことをこなしている日々なんじゃないかと不安になる。

そんなとき、僕はこのアメ村に来て今の僕に足りないものを満たすようにしている。
当時を想い出して。

たまに僕は、モノや場所のにおいにおいて
「アメ村の雑貨屋のにおいがする」という表現を使う。
それは決して悪口ではなく、僕にとってはワクワクするにおいでもあるのだ(笑

しかし、、、
当時の僕からすれば40才なんて超じじぃだ。
今のアメ村の若者からみれば、今の僕はそんな風景に溶け込めないじじぃなんだろう(笑

さ、もう一件ほど雑貨覗いて神戸に帰ります。
明日からもがんばろー