忙殺の彼方
忙殺。
まあ、うまくこんなことばを考えたものだ。
僕はけっして要領がよくない。
気分屋だし、乗らないと作業が進まない。
そんな性格なのに、昨年9月より青年会議所の委員長の役を受けてしまった。
そしてそれは、非常に多くの時間を費やす結果となった。
まだこの職務は継続中であるが、これがほんまに大変。
しかしそんな役をしながらも、多くのことを本当に勉強させてもらった。
僕はこの間、ほとんど仕事も手につかなかった。
だが、仕事が思うように出来ない状況は、非常に多くのことに気がつく瞬間でもあった。
僕はこれまでは「どうすればいいのか?」「何をすればいいのか?」をフォーカスして自分の生き方や仕事を考えていた。
しかし自分が動けない状況において考えた事は
「何をしなくていいのか?」
これにつきる。
昔「親指の絵を描くときは親指を描かずにその周りの空間を描く」という話を聞いた事があるが、まさにそれである。
やりたいことがたくさんある僕に必要なことは、やらなくていい事をやらない生活にすることなのだ。
振り返ってみると、僕は自分がしなくていいことさえしていた気がする。
またこれは同時にライフスタイルと持ち物にも影響してきた。
例えば服。
僕はすごく限られた服しか持たないようになった。
他人から見ればいつも同じような服しか着ていないと思われてるんじゃないかって。
でもそれが正解。(笑
僕にとって私服は人生における重要なファクターではない。
ちなみに先日もただでさえ少ない服を選別して捨てた。
多分僕の私服は今段ボール2つ以内に収まるだろう(笑
そのかわりスーツはオーダーものしか着ない。
マラソンのウェアは15000円でも買うけど、私服は1万円以上のものは買った事がない、そもそも5000円を超えると躊躇する。(笑
周りに高価な腕時計をしている友達が多くいるが、僕はそもそも時計はしないし必要だと思わないけど、1万円近くするトレーニングのグローブは即決で買う。
仕事でいうと、積極的に外注に出す。
無駄なアポイントは入れない。
作業はしない。
そのかわり体のトレーニングに掛ける時間が増えたりと、まさに今大きくライフスタイルを変えつつある。
まあいろいろ書いたが、ここに行き着いたのにはやはり委員長職をした事が大きい。
自分でコントロールできないことに大きく時間を取られた事が一番の学びにつながるという結果だ。
忙殺の彼方で得たのは、やはり人生は自分のために生きるべきだと、本物の生きた学びだった。
なんかこう書くと青年会議所の委員長職はとんでもなくやらない方がいいものに感じるかもしれないが、ぜひチャンスがあればやるべきだと思う。
何年もかけて何十冊という自己啓発やマネジメントの本を読むよりも、1年でそのすべてを学ぶことが出来るからだ。
1年必死でもがいて学ぶか、何年も時間を掛けるか?
限られた人生の時間なので、僕なら前者をお勧めします。